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きちんと決断出来る男になる為に

約8分

物事を決めるって難しいですよね..。
答えが無い事に対して決断を下すのは、責任を負うと言う事になる訳ですから、並大抵の事では有りません。

それこそ上手く行けば良い訳ですが、上手く行かなかった時は、何でこっちでは無くてあっちにしておかなかったのだろう..と悩んで落ち込んでしまうのは当たり前な訳です。
そしていや、こっちにしたのはあいつにああ言われたからなんて他人のせいにしてしまったり..。

ズバッと決められる男になる為に、ここでは決めると言う事について考え抜いてみたいと思います。

決断はなぜ難しいのか?

決断自体が難しいのは一体何故なのでしょうか?
決断が難しいのは、それが最適な答えなのかがわからないからです!

そうなんです、それが最適の答えだとわかっていれば誰でも出来る訳ですし、難しい訳は有り得ません。

だから答えがわからない中で、信じたものに賭けるのが決断と言う事になる訳です。
決断とは魂を賭けた人生のギャンブルと言えるのかもしれませんね。

因みに決断と似て非なる判断と言うのは、どちらかと言うと理詰めの世界なのだと思います。

決断の答えはどうすればわかるのか?

それでは決断の答えとなるべき、最適な答えはどの様にしたらわかるのでしょうか?

若しわかるとしたら、それは時が十分経てばと言う事になるのでしょう。

しかしながらそれでも全ての選択肢が実行されている訳では無いので、全ての選択肢が実行された末の結果を比べられないのでやはり最適かどうかはわからないのでしょう。

タイムマシンが有り、全ての選択肢を実行してその結果を見ると言う事を時を何度も遡り繰り返さない限り、決断の本当の答えはわからないと思います。

後悔先に立たずなのです!

決断する為に先ずは決めておかなければならない事とは?

決断で揉めてしまうのは、その目的が何なのかと言うのが曖昧だからでは無いでしょうか。

例えば会社での決断も商売で儲ける為と曖昧にわかっていたとしても、それが短期的な儲けのかそれとも長期的な儲けなのかによって決断内容と言うのは大きく変わってくるでしょう。

皆それぞれ自分にとって有利な視点で見ている、それぞれの色眼鏡を通して同じ景色を違う様に見ているので、見えている景色は驚くほど違う筈なのです。

だから厳しい決断であればある程、先ずは決断の目的を徹底的に明確にしなければならないのでは無いと考えます!

決断する前にしておかなければいけない事とは?

次に決断する前に絶対にしておかなければならないのは、きちんと十分な数の選択肢を、漏れなくダブり無く揃える事です。

そもそもの選択肢が間違いばかりであれば、どれを決断しても間違いとなってしまうからです。

ハズレしか無いくじを真剣に選ぶ姿は、本当に虚しく映ってしまいますよね。

決断するのが難しいのはなぜ?

決断すると言う行為が難しいのは、全体最適化と部分最適化の視点が異なるからなのでは無いでしょうか?

性弱説的に考えた時に、やらなければいけない事を今すぐやらなくて、先送りにして結局やらなかったと言う経験は無いでしょうか?

  • 全体最適化の視点:人生で考えると、必ず勉強と言う努力はした方が良い事と言う事はわかっている
  • 部分最適化の視点:でも今やると、あのやりたかった遊びが出来なくなってしまう、いずれにせよ面倒臭いし、後でも出来る筈

自分一人で考えても、この様な全体最適化と部分最適化のせめぎ合いがある訳です。

これが他人も含めて全体最適化と部分最適化のせめぎ合いをしなければならないと考えると..気が遠くなりませんか?

決断をし易くする方法は?

決断は何もする事を決めるだけでは有りません。
逆にしない事を決断すると言うのも有りなのです!

だから先ずは明らかにすべきでは無い事をしない事として決断し、それをどんどんと多くして最終的にはすべき事のみと言う順序で行えば決断は圧倒的にし易くなると考えます。

先ずはしない決断をしてみたら如何でしょうか?

決断の方法は?

決断の方法は自分一人だけで行う場合と、複数人で行う場合で分かれます。

多数決

組織の中での決断方法のド定番は多数決では無いでしょうか。

多数決も過半数、3分の2以上、全員一致の3段階くらいで行われている感じでしょうか。
本来は様々な意味で全一致を目指すべきなのかもしれませんが、人数が多くなればなるほど非現実的です。

拮抗する状態の過半数であれば、若しかしたら実行段階で何らかの拍子でひっくり返されるかもしれないの危険です。
だからやはり3分の2以上として、きちんと反対派との差が有った方が良いかと考えます。

多数決で難しいのは、この人の1票と、あの人の1票が明らかに重さが違う場合です。
その様な時は例えば管理職の1票は2ポイント、一般職の1票は1ポイントと多数決xポイント制としても良いかもしれません。

しかしながら注意しなければならないのは、公平に見える多数決が実は皆の不幸せを孕んでいると言う危険性です。

議論や雰囲気で他人に流されてしまったり、無責任になってしまったり、集団極性化により思ってもいないくらいに極端化してしまったりしているかもしれません。
他人の前では良い格好したいが為に、思っている以上の事をつい言ってしまう丁々発止となる可能性が有る訳です。

だから多数決とは一見すると正しく見えてしまいますが、数の暴力となってしまったり、雰囲気に流されてしまう事も有るので本当に注意しなければなりません。

トップに一任する

組織の中での決断は多数決よりも、トップ個人なのかトップ層に一任した方がより正しい決断はされる様な気がします。

しかしながらこれには前提が必要です。
トップ(層)がきちんと全体最適化に取り組んでくれるのだとしたらと言う条件です。

基本的にはそれがトップ(層)の仕事ですから当たり前な筈ですし、それが出来る人(達)が昇進している筈です..よね?

スコア化して比較して判断する

選択肢に対して必要な項目を炙り出し、それぞれに対して採点をし、合計スコアで決断と言うか決定する方法です。

これは一見正しく、理詰めの末の決定の様に見えますが、やはりこれも結局は決断になるのだと思います。

それはそもそも必要な項目がきちんと炙り出せているかから始まり、それぞれの項目をきちんと採点出来るか恣意的な点が拭えないからです。

且つそれぞれの項目を何点満点とするかと言うのも問題です。
例えばある項目は10点満点で良いかもしれませんが、もう一つの項目10,000点満点にすべきと重軽を恐ろしく変えるべきなのかもしれません。

例えばフィギュアスケートの演技構成点は、スケートの技術、技の繋ぎ、演技表現、振り付け、音楽の解釈の5項目となっています。
しかしながらそれぞれが同じ10点満点で良いのでしょうか?

正直フィギュアスケートの事はわかりませんし、不特定多数の人間が採点する為のシステムとしてはかなり完成度が高いと思います。
全てを勘案すると、それぞれの採点者は理詰めの採点と言うよりも決断をしている様な気がしてしまいます。

偶然に委ねる

世界各地で古来より重大な事の決断の裏には、神憑り的な占いが活用されて来ました。

神様がきちんと教えて下さるのであれば、そもそも決断する必要も無い訳です。
しかしながら神様は様々な意味を込めてその様な事をされないので、行いの偶然の結果を神様の意思と見立てる占いが活用されて来た訳です。

だから偶然に委ねると言うのは、悪い意味での適当では無く、正に良い意味での適当なのかもしれません。

きちんと公平性が担保されるのであれば、じゃんけんでも、鉛筆を転がして出た結果でも..寧ろ神様の声なのかもしれません。

頼れる人にお伺いを立てる

決断する前に、自分、若しくは自分達よりも見識が広い人にアドバイスを貰うと言うのは、今でも当たり前の様に実行しているかと思います。

そしてその様に頼れる人にアドバイス止まりでは無く、決断までして貰えれば..ぶっちゃけ楽ですよね。
若し失敗したらその人のせいにすれば良い訳ですし。
しかしながらその様な時に本当に責めなければいけないのは、その人にお願いした自分(達)自身です!

だからきちんとアドバイスを貰い、それを結局は自分(達)自身で決断すべきと考えます。

決断をきちんと実行する為に

決断をした筈なのに、それが実行されないと言う事も残念ながらあってしまう訳です。
そうならない様にする為には何をすれば良いのでしょうか?

単純に考えるとやはり飴と鞭を準備しておくのが良いでしょう。
誰がどの様な責任を負い、どの様な飴か鞭を貰えるのかを明確にしておけば良いでしょう。

また他の選択肢を断ち切るのも重要です。
後戻り逃げられない様に背水の陣破釜沈船の様な体制を取らなければ..性弱な人間と言う生き物はやはり逃げ道ばかり探してしまうのが当たり前なのかもしれません。

決断出来る男になる為にのまとめ

やはり改めて整理してみると、決断がなぜ上手く出来ないのか、だからどう決断していけば良いのかと言うのが見えて来たのでは無いでしょうか?

良く有り勝ちな集団での決断と見える、多数決の危うさもわかったのでは無いでしょうか?

決断をする前には目的を明確にし、十分な選択肢を揃える事が肝要です。
後は正直わからない部分が多いので、運に任せるのかトップ(層)に一任すると言うのが無責任に見えて一番納得する決断となる様な気がします。

先ずはあなたがあなた自身の物事を、一人で決断する時のルーティーンを決断してみては如何でしょうか?